創業者であり、今は亡き川端正一郎は、たった一人で会社を設立してその時に「 いつかきっと富士山のような、日本一の会社にする」と誓い富士電子産業を設立した。
若くしてこの世を去り今は伴侶である川端ひとみ社長がしっかりとその意志を継ぎまさしく富士山のような日本一の会社へと歩み続けている。
丁寧で素晴らしいハーネス作りを続けること社員を大切にし続けている信念が、その大きな夢を叶えようとしている。
大阪生まれの大阪商人であった川端正一郎は、 大阪で培った商社の経験を元に、 「富士山のような日本一の会社にする」熱い想いを胸に、 転勤先の広島で一人会社を設立する決心をした。 設立した会社である事務所のアパートで 電話番のアルバイトだった、当時高校生の女子が 将来伴侶となり、今の社長である 川端ひとみ社長であった。 始めは商社として電子部品の売買をしていた。
そんなある時、突然 当時社長であり夫の川端正一郎が 自宅で倒れてこの世を去ってしまった。
丁寧で高品質な仕上がりが評判となり、 ハーネス製造の注文は日に日に増えて行った。
そして結婚後、可愛い一人娘を授かる。 伴侶である川端ひとみは、 電話番をしながら、電気部品の作業をした。 それが好評となり、娘を砂場で遊ばせながら 近所の主婦に手伝ってもらうこととなった。 それが今の、ハーネス製造のきっかけとなる。
その後、伴侶である川端ひとみは、 川端正一郎社長の強い意志を引き継ぎ 新社長となり愛娘と共に会社を支えている。 高品質のハーネスを作り続けること、 社員を家族のように大切にすること、 この信念を貫き続けたことで 社員皆が一生懸命良いハーネスを作る 素晴らしいチームワークが実現した。